君は私を見てくれて
私は君を?
040:骨になってしまえば、皆同じよ
ギルフォードは不安に顔をしかめたままで一室を訪った。部屋を専有しているものの名前がプレートにないのは部屋の主が恒久的に部屋を専有するからだ。通路でさえ華美な装飾のきらいがある。軽く握った手で分厚い扉を叩く。応えがあって名前を名乗れば甲高い声で入室が許可される。扉を開けると音もなく滑りこむ。立派な文机に肘を立てて頬杖をついている少年が楽しげにギルフォードを見下す。絹のように細い黒髪は薔薇色の頬を撫で、その肌は乳白に澄んだ。彼の気の高ぶりのように唇が紅い。華奢な体躯は、彼が肉体労働を必要としないだけの階級にいることの証だ。皇族。長い彼の名前を思い出す。国名をファミリーネームに冠するのは彼が支配階級の一族だからだ。皇位継承権は高くないが彼の知略や判断力は将来を期待させる。異母兄や異母姉にも引けをとらない。現在絶対的上位に君臨する皇帝は複数の妻を持ち子供も多い。それだけ競争が激しくとも彼はおそらく生き残っていけるのだろう。斜に構えるきらいはあるがそれは賢しさの裏返しでもある。
「ルルーシュ殿下」
ルルーシュの美貌がうそりと嗤う。紅い唇が細まるように引き伸ばされて口が裂ける。眇めた眼は潤むように紫水晶で埋まる。
「遅いぞ。待ちくたびれた」
いつも通りのやりとりだ。ギルフォードは跪きながら敷き詰められた絨毯を眺めた。背中は痛めずに済みそうだ。殿下ご健勝そうでなにより。抱かせろよ。ギルフォードの口上をルルーシュが遮る。半ば予想していたため特にくじかれるものもない。ルルーシュの姉皇女の騎士を務めるギルフォードをこうして私的に呼びつけるのは初めてではない。そのつどつどにギルフォードは対応してきた。隣へ寄り添うだけの日もあれば咥える日もある。ルルーシュの気分次第だ。主と定めた皇女への報告はしていない。彼女を貶めるだけだと思っているし知られたくないと思うだけの羞恥心がある。
ルルーシュは優美な動作で立ち上がると歩み寄る。華美な衣装が嫌味にならない美貌だ。細い髪と細い頤。睫毛は長く密。くっきりとした紫水晶の双眸は理知的だが暴走を引き起こすだけの激情さえ秘める。
「ギルフォード」
ルルーシュの声はまだ高さが残っていてギルフォードは彼の年少を痛感する。年少者にいいようにあしらわれている情けなさやがむしゃらに求めてくれることに対する気持ちがある。ルルーシュは言葉を惜しまない。体を重ねれば好きだ、愛していると睦言をささやく。跪くギルフォードの元へ目線を合わせてくれる。それが優越なのか憐れみなのか優しさなのかは知らない。必要もないと思っている。ギルフォードとルルーシュの間には厳然とした階級差があり、一時の感情の奔流に流される訳にはいかない。膝を折るギルフォードへルルーシュはその細い指を這わせる。跪いてあらわになるうなじを撫で、耳裏を探る。ぴんと張った峰のような隆起を見せるうなじをルルーシュは執拗に撫でる。こめかみや口元まで探られる。ギルフォードはひたすら黙って耐えるだけだ。それが階級というものだ。
ルルーシュ自身も痩身である。だぶつく肉もなくある程度の芯を感じられる指先がギルフォードのうなじを撫でる。火照る熱と硬い骨の感触にギルフォードの意識は浮き沈みする。体中を撫で回されているような気になる。ルルーシュの手付きはそう思わせるほど淫靡なものだ。
「ギルフォード。オレの女になる気はないか?」
しかるべき手続きを踏んでお前を妻にしたい。子が成せるかどうかは関係ない。オレが、オレの隣にいて欲しいのはお前なんだ。貴族も皇族もねじ伏せる自身がオレにはある。お前が、一言、うんと頷いてくれれば、それで。伏せた睫毛を震わせてギルフォードの目蓋が薄く開いた。薄氷色の瞳は冷たく絨毯の色を見つめる。
「短慮であると思います」
ルルーシュ殿下は勢いで事を成そうとしております。後々後悔する日がきっとあると思います。ルルーシュの美貌はそれだけで彼の相手を数多生み出す。わざわざ手続きや工作が必要な同性を娶る必要はない。主であるコーネリア皇女を理由にする気はない。それこそ、コーネリアとルルーシュの双方を貶める。ギルフォードは自らの意志でルルーシュの好意を辞すのだ。
ふっと笑う気配がした。ルルーシュは激高もせずにクスクス笑う。
「予想通りの答えだ。お前ならそう言うと思っていた」
お前は姉姫もオレさえも理由にしない。お前の膝をそこまで折らせるものはなんだろうな。我が生命はコーネリア皇女殿下の元へ。あぁ、そういう一途さがたまらないんだ。無理やり奪いたくなる。ぐん、と頤を掴まれて上を向く。美貌が見えたと思うときには唇が重なっていた。かつん、と銀縁の眼鏡が揺れた。ルルーシュの繊手がむさぼるようにギルフォードの頤を抑えては深く食まれた。オレへ目線を据えさせるのがいいんだ。お前なんか見てないっていうやつの視界をオレ一色で染めるのが楽しくてたまらない。コーネリアのこと、忘れさせてやる。ギルフォードの右手がしなう。ルルーシュが構える前にギルフォードが打擲した。もともとルルーシュは前線に出る戦闘タイプではない。瞬発力や威力ならギルフォードのほうが勝る。戦慄く唇を噛みしめるギルフォードに、殴られた頬を紅く腫らせたままルルーシュはフンと鼻で笑う。それでこそ。
「それでこそオレの女にふさわしい」
オレはひょいひょい乗り換える尻軽は嫌いだ。この人しか見えませんと言ってる女の面をこちらに向かせるのがたまらなく好きなんだ。ギルフォードには納得しかねる言葉だった。返事をしない。ルルーシュは気にせず滔々と語る。
「ルルーシュ殿下」
ギルフォードが初めてルルーシュの言葉を遮る。なんだ。特に不機嫌でもない。それは頑なであればだれでもいいということですか。私でなくとも好いと。拗ねるようなギルフォードにルルーシュの口が裂ける。なんだ、妬いてるのか? オレにはお前しか見えていないから気にするな。尻軽は嫌いだが最終的には乗り換えてもらうぞ。ギルフォードは口元を引き結ぶ。苦い顔をするのをルルーシュは笑い飛ばす。
「お前はオレの女だ」
ギルフォードの指先が耐えるように震えた。ぎちりと爪の軋む音がする。毛足の長いじゅうたんをえぐるように爪が立てられ軋んだ。額ずいたままギルフォードは動けない。一度であってもこの皇子の求めに応じたのはギルフォードの落ち度だ。ルルーシュはそれを見過ごすほど朴念仁でもお人好しでもない。
「ルルーシュ殿下、何故、私を」
「理由が要るのか。オレがお前を好きなんだ。男女の睦み合いとはそういうものだ」
理由が要るならそれまでの関係だ。破綻する可能性もある。冷ややかな視線でギルフォードはルルーシュの幼きを想う。ルルーシュはまだ打算にまみれた慕情を知らない。
「理由が要るのか? オレがお前に惚れたんだ」
それしかない。それしかないとは言い得て妙だ。ギルフォードの口元は知らずに笑んだ。その寄る辺がなくなれば容赦なく切られるだろう。
「我が身の処遇は御コーネリア皇女殿下に一任されております」
「コーネリアがお前をオレに寄越すと言ったら従うか」
ルルーシュは敏い。ギルフォードの言葉に切り返してくる。頷くギルフォードにルルーシュは愉しむような不快なような微妙な笑みを見せる。
「不誠実。不忠。そうは思わないか? 主に全て責任をかぶせるか」
「私の体は髪の一筋さえもコーネリア皇女殿下に捧げると極めました。殿下が行けと命じるならば」
地獄の底まで参りましょう。
くふ、ふ、と笑いが漏れた。ルルーシュが肩を震わせて嗤う。
「お前は頭がいいな。戯言に惑わされてはくれないか。死に逝けと言われたら死に逝くと。それでこその忠義。おろかしい。盲目的で愚かしい、だが。それ故に」
愛おしいものだな。ルルーシュはその整った顔で酷薄に笑んだ。ますますお前が欲しくなった。肩を押されてギルフォードは仰臥した。上にルルーシュがかぶさってくる。ルルーシュは華奢なために威圧感はない。それでもたしかに彼に抱かれるのだという予感だけがある。コーネリアとは寝たか? 恐れ多いことにございます。案外奥手だなお前。別に嫌いじゃない。それならそれでいい。ルルーシュの手は勝手知ったる動きでギルフォードの着込んだ礼服を剥いでいく。仄白いうなじにルルーシュが生唾を飲むのがうかがえる。ギルフォードは傾ぐようにして肩をすくめる。空調が効いていても執務室は暖かくはない。絨毯の暖かさとその冷たさとが相まってギルフォードは微睡むように意識が拡散していくのを感じた。眠りに落ちる寸前の感覚が広がっていく。範囲を広げすぎて認識できないそれに似た。銀縁の眼鏡がずれる。視界がぼやけた。迫るルルーシュの美貌さえ曖昧だ。
「お前のその体。食らってやる」
首筋へ立てられた歯ががりっと音を立てた。ぬるりと流動の感触がある。垂れた血をルルーシュがすする。お前の体、オレが奪ってやる。誰かのものだというならオレが奪うまでだ。
ギルフォードは目蓋を閉じて四肢を投げ出す。ギルフォードの体の支配権はどこにもなかった。
乱れた呼気を整えようと深く息を吸った。はふ、と吐いた息が熱い。ギルフォードは絨毯が敷き詰められた床へ仰臥したまま体を休めた。ギルフォードの体を散々に弄んだルルーシュは涼しい顔で文机へ戻る。脚の間や胸部、唇さえもが領域を曖昧にする。四肢を震わせると思わぬ位置から反響がある。ギルフォードがふるっと身震いするのをルルーシュは微笑った。お前は案外うぶだな。まだ四肢の感覚が戻らない。弛緩と膨張を果てしなく繰り返した体躯に境界線は薄れた。ギルフォードはもはや自分の体の領域さえもが曖昧だ。黒褐色の細く長い髪がはらりと散らばる。結い紐がいつの間にか解かれていた。ギルフォードの動きに合わせてさざなみのように艶を放つ。お前は綺麗だな。ルルーシュはふうと笑う。微笑みに近いそれにギルフォードは惑った。私は綺麗などではありませんが。ギルフォードの忠義は時折揶揄の種にさえなった。技術部のロイドや果てはシュナイゼル皇子までもがギルフォードを揶揄する。はねつけても彼らは何度でもちょっかいをかけてくる。
私は思われているような清廉な騎士ではありません。姫様にはなんと詫びてよいか判らない。ロイドもシュナイゼルもギルフォードでは太刀打ち出来ない位置から攻める。ギルフォードの意識は摩滅する。コーネリアに忠誠を誓う気持ちに嘘はない。それでも体が屈服するのをギルフォードは止められない。体がこんなにも別離するとは思いませんでした。呟いた言葉にルルーシュは細い眉を跳ねさせた。後悔しているのか。後悔とはおこがましいことです。私が至らないだけです。黒い睫毛を伏せる。震えるそれを見た感のようにルルーシュが抱擁する。子供っぽい高い温度にギルフォードの強張りが不自然に溶けていく。
「気にすることはない、ギルフォード」
識っているか? このエリア11では火葬が通常なのだそうだ。ブリタニアのように土葬ではないのさ。オレの知り合いがな、言っていた。燃してしまえば同じものだと。だからお前が気に病む必要はないぞ。だがお前を燃してしまうのは惜しいな。オレはお前をいつまでも隣に置きたい。ギルフォードは投げ出した四肢を取り戻そうともしない。感覚の放たれた状態で拡散した曖昧な感触が心地いい。意識すれば見えてくると思うのに見えてこないそれに心が浮かれた。
「わたし、などが」
「お前はお前が思う以上の価値がある。そこははきちがえるなよ」
ルルーシュは甲斐甲斐しく動いてはギルフォードの世話を焼く。濡れた布で情事の後の体を拭う。ヒクリと震えるギルフォードの体を追い詰めることもなく優しく拭っていく。ずれた眼鏡で視界がぼやけた。直すのも間が抜けているようでギルフォードは体を拭われるままになる。
「ルルーシュ殿下は…私をどう、思っていらっしゃいますか」
閨の女ですか。孕まぬというのに。ルルーシュはあっさり言う。確かに女だと思っている。だが別に孕まぬから価値がないとは思わない。様々な意味でオレをサポートしてほしい。お前は優秀だよ。私の所有権は。ルルーシュの美貌は酷薄に笑んだ。逃がす気はないぞ。お前の体、なんとしても我が手中に収めてみせる。勝手に死ぬな。お前の焼け残った骨さえもオレが管理してやる。ギルフォードは黙って目蓋を閉じた。ギルフォード。火照った体へルルーシュは頬を寄せる。オレはお前が好きなんだ、本当に。オレがお前の助けになるなら惜しまない。オレの助けになってほしい。
「本当にお前が好きなんだよ」
君と同じものになれる日を夢見て
私は
《了》